歌いたい
その日俺は、花は生きることを迷わないの歌詞を書いていた。
否、書こうとしていたけど書けなかった。
三日間一文字も書けていなかった。
そういう、非生産的な日々が過ぎていくと本当に自分自身が嫌になる。
俺はなんて無能で役立たずの穀潰しなんだ…と消えたくなる。
そんな時に、テレビをつけたら
北島康介が二位!!というニュースをやっていた。
北京オリンピックの代表を決める大会だったと思う。
テレビは一位の選手を讃えもせず、ただひたすら
北島康介が二位!!と繰り返していた。
その一位の選手が北島康介に勝つためにどれだけの努力をしてきたのか。
本当に、マスコミはクズだなあと
鬱々とした心で思った。
そしたらゲロを吐くように歌いたいができた。
詞も曲も一緒に30分くらいでできたと思う。
歌詞が書けないのに、こんなしょうもない曲はできてしまう。
俺もマスコミと同じようにクズだ…と思った。
で、後日、スタジオに入った時に
ちょうどその時できていた俺としてはイチオシの曲があって
それをみんなに聴かせたんだけど
誰もまったくピンと来なかった。
ダメか……と思って
一応、こういう曲もあるんだけど
しょうもない曲だけど
と、歌いたいを歌ったら
ウソウソウソ…!!
みんなめちゃくちゃ伝わっちゃってんじゃん!!
悟なんかちょっとうなだれながら
「これは…俺の歌だ…」
とか言っちゃってるし…
(それ、なんとなく恋をしたりセックスをしたり、のとこだけやろ)
あれー??
おやー??
予想外の反応にビックリした。
イチオシだった曲は指で弾くようにボツった。
今となってはどんな曲だったかも思い出せない。
そして曲出しレコーディングで録った曲を聴きながら選曲会議してたら
歌いたいを聴いたディレクターの菊池さんがニヤリとしながら
これシングルじゃ~ん?
と言った。
いやいやいやウソでしょ。
俺としてはあまりにするっと自分が出てしまった歌だったので
正直ちょっとハズカシイというか
自慰行為を見られてるような、そんな感じで
だからみんながそんなに褒めてくれるのが
逆にちょっと不思議だった。
アルバムはだいたいいつも最後の曲がスローテンポだったので
AT0Mはバキッと終わりたかったんだけど
結局歌いたいがAT0Mを締める曲になった。
歌詞がやっぱ、ちょっとアクが強いので
どこかに挟む感じでもないよな~ってことで。
で、アレンジをしていく中で
とにかく歌詞を聴かせたいってことで
一番は丸々俺一人の弾き語りってことになってしまった。
悟が言ったのかな?
一番丸々小高だけでええやん、って。
歌いたいは
つばきののりちゃんがたいそう気に入ってくれて
二人でうちで飲んでる時に
小高君、あれはいいよ
あれライブの1曲目で歌ったら絶対みんな響くよ
と褒めまくってくれた。
昔、クイップマガジンという下北沢系のインディーズバンドにとって
メシアのような音専誌があって
(俺らも3回も表紙をやらせてもらったし、眠る前の時も表紙やらせてもらった)
そのクイップマガジン主催の
下北沢round upというサーキットイベントがあったんだけど
いつだか、あの時俺金髪だったと思うので
2010年の秋かな?
枠がひとつ余ってるので小高君なんかやってくれないか、と頼まれて
LUNKHEADと別枠で
俺と龍とのりちゃんで伊予ッ子倶楽部(ダサっ!)っていうバンドを組んで
俺がつばきを歌ったり、のりちゃんがLUNKHEADを歌ったりした。
その時にのりちゃんが歌ったのがプルケリマと歌いたいだった。確か。
歌いたいも、ライブの中盤のまったりゾーンに組み込みにくくて
あんまりLUNKHEADでやることは多くない。
最近はソロでばっかり歌ってる気がする。
(だって、歌いたいの後に夏の匂いとか流れとしてちょっと違うじゃない?)
でも未だにとても自分にとって核だなあ、と思う曲です。
悲しいことがあった時に
世界にはもっと不幸な人がたくさんいるよ
君だけじゃない
みたいなのあるじゃないですか。
あれが反吐が出るほどに嫌いで
俺の悲しみは俺だけのものだし
誰かの悲しみはその人だけのものだし
どっちの方がより悲しいかなんて比べられるわけないじゃないか。
そりゃ、明日死んでしまうほど飢えてる子供や
病気や怪我で苦しんでる人がいて
それに比べれば俺の悲しみなんてちっぽけなのかもしれない。
だからって
それを比べて俺の悲しみの方が
あなたの悲しみの方が価値が低いなんて
そんなの誰にも決められるはずがない。
と、俺は思うのです。
悲しみに単位はないはずなのに人はそれを比べたがる
美談は金になりそれを見て僕らは安っぽい涙を流す
(Vo.G.小高芳太朗)