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冬の朝

影と煙草と僕と青をレコーディングしてたのは2003年の1月だった。たしか。
大学の卒業研究も大詰めで、それどころじゃない時期だったけど
俺としてはそれこそそれどころじゃないので
コソコソ研究室を抜け出してレコーディングに向かっていた。
当然研究室の人達にはバレバレで
白い目で見られていたけど
どうでもよかった。
ここで自分が失うものは何もない。
自分にとって研究室はそういう場所だったからだ。
(でも頑張ってちゃんと卒業した。親孝行だと思って。)
そんな結構大変な感じでレコーディングした影と煙草と僕と青
ブローウインドレコードというレーベルからリリースしたんだけど
リリース日を解禁した後でリリース日を延期されたり(ビクターの時もあったけど)
右も左もわからない俺らはほとんどダマされたと言ってもいいぐらいにいいように雑に扱われて
(今思えば、ブローウインドレコード自体にもう体力がなかったのだと思う)
その時はもう契約書にサインしちゃってたので
もう、悔しいけどあの曲達全部捨てて一からやり直そう
って4人で話してたぐらい俺らは追い詰められていた。
だけどブローウインドレコードの社長がまたとんだタヌキで
話がものすごくうまいので
怒り心頭で話し合いに言ってもどうしても言いくるめられてしまう。
そこで現れたのがボビーだった。
こういうブローウインドの社長みたいな人は
ボビーみたいな、手強いと思った人は
とにかく蚊帳の外に出そうとする。
「君はなんなの?誰?どういう関係?ああそう、つまり部外者でしょ?」
3月のライオンで川本家のお父さんが零君にやったのとまったく同じ感じで
(あの巻を読んでる時ずっとブローウインドの社長が頭に浮かんでた)
ほんとにいるんだよああいう人。
そんな社長相手にボビーは粘り強くぶつかってくれた。
当時はまだ直球も立ち上げてなかったから
ほんとにただの部外者だったのに。
おかげで俺らはなんとか耐えられて
ちゃんと祝福されながら影と煙草と僕と青はリリースを迎える事ができた。
あの時ボビーに出会えてなかったらと思うと
本当に頭の奥が痺れるような絶望的な気分になる。
いやいや、多分俺らは出会うべくして出会ったんだ。間違いなく。

という長いイントロダクションでした。

冷たい風にさらされすぎて

の冷たい風はまさに、ブローウインドレコードの事です。
2003年の2月かなあ?
今はなき渋谷屋根裏で初披露したと思う。
まだ話し合いが終わってなくて
どうにもこうにもやるせない日々で
ある日ゲロを吐くように歌詞とメロディがほぼ同時にできた。
リフとサビはBm7とGadd9の繰り返しっていうシンプルな流れなんだけど
Aメロのコード進行が
F#m7 Em Gadd9 Bm7 F#m7 Gadd9
で、自分の中では珍しい進行になってる。

歌詞の内容で4人は一致団結してたので
アレンジは一瞬で決まった。
一丸となってほぼ怒りの感情の勢いだけでできた。
(俺らは本当に怒っていたし傷ついていた)

そんな感じで冬の朝は電光石火の如く
生まれ落ちた。

そして2004年3月
俺らは白い声でメジャーデビューして
初めての全国ツアーを行っていた。
追加公演の旭川カジノドライブの日だった。
打ち上げの後、俺と壮とディレクターのナベさんでもう一軒飲みに行って
さらにその後ホテルのナベさんの部屋で部屋飲みする事になった。
そろそろ地図の曲順を決めなきゃな時で
俺は別の曲を1曲目候補にしてたんだけど
ナベさんは冬の朝がいいと言う。
(音のブログで冬の朝だけは1曲目って決まってたと書いたけど、勘違いでした…この時決まったんだった)
で、ナベさんの部屋で鍛高譚を飲みながらやはり曲順の話になった。
(というか、その話をするためにナベさんはわざわざ旭川までやってきた)
2軒飲んでさらに鍛高譚なんか飲んでるので俺らはもうクソベロだった。
ナベさんは普段は仏のような人だったが
元々パンクバンドのドラムだけあって
酔っぱらうとパンクス魂が炸裂して
結構手に負えない。
その日もいつも通りナベさんスイッチが入り
「だからさ…歌詞がさ…グッとくるんだよ…!!
だから一曲目は冬の朝じゃないとダメなんだよ!!
だからさ…歌詞がさ…グッとくるんだよ…!!
だから一曲目は……」
の無限ループ
こっちの話はまったく耳に入らず
30分くらいこの調子で繰り返していた。
割と拷問だった。
俺は折れた。
壮は…部屋に来た直後から爆睡していた…
ちなみに、俺が1曲目って思ってた曲は地図に入りもしていない。

そして晴れて冬の朝は地図の実質1曲目になった。
2004年のRIJF、出演は叶わなかったが
グラスステージの転換中に冬の朝が流れたという。
真夏のひたちなかに冬の朝…

だけど冬の朝はそんなに盛り上がる曲に育たず(それこそ歌詞のせいか…)
いつからかあまりライブでやらなくなっていった。

なので
road to 20th Anniversary TOURファイナルの
渋谷ストリームホールでやった冬の朝は
本当に感慨深かった。
曲が始まってあんなに大きな歓声が上がった事はないし、あんなに盛り上がった事もなかった。
この曲で見たかった景色を15年越しに見せてもらえた。

本当にみんなありがとうだよ。
負け犬でもいいから逃げ出したいと歌いつつ
負け犬でも逃げないで噛みつき続けてきたら
こんな事があるんだものナァ。

(Vo.G.小高芳太朗)