「千川通りは夕風だった」,  ENTRANCE 〜BEST OF LUNKHEAD age18-27〜,  LUNKHEAD曲解説ブログ,  シングル,  地図

千川通りは夕風だった

印象的なのはやっぱりリフだと思う。
メインの壮のリフに絡む俺のギターが
素直にハモってるようでちょっと違う。
ハモりつつ合いの手を入れつつ最後ハモるみたいな
その絶妙さがキモだと自分では思ってる。
2002年の秋だったかな。
当時、独り言を録ったクロスロードスタジオで
新たに白濁と物思いに耽る庭をレコーディングして
ライブの物販でCD-Rを
ハイラインレコードでカセットテープを売っていたんだけど
実はその時の物思いに耽る庭のサビの裏で俺が弾いてたフレーズが千川のリフだったのです。
で、これこんな脇役で終わらせるのもったいないな〜と思って
これで一曲作れないかな〜って
そんでできたのがこの曲でした。
やっぱりメジャー7thに凝ってたので
随所でメジャー7thが登場しまくり。

初披露のライブはガレージだったんだけど
やはり歌詞ができてなかった。
びっくりするくらいできてなかった。
なので、対バンのライブも見ずにガレージの近所をウロウロしながら歌詞を考えていた。

「街灯が灯った公園でブランコ泣いている」

とかは
まんまガレージの近くの公園で見た風景で

千川通りというのも当時俺が住んでいた上井草という街から目白あたりまで続いてる道なんだけど
すごくフツーのただの道で
聖地巡礼してくれたファンの人達がみんな
あまりにフツーでポカンとするっていうがっかり名所

なんとかかんとか形にしてガレージ戻って
ライブ前に壮に歌詞を見せた時
「もうちょっといけるかな」
とばっさり切り捨てられた事は
生涯忘れる事はない
(多分壮は忘れてる)

だけど結局、歌詞はそのままで定着してしまって
LUNKHEADの記念すべき1stシングルにまでなってしまった。

この曲をリリースする事になった2003年の夏
すでにビクターからメジャーデビューする事は決まっていて
なんならリリースされる前に白い声はレコーディングが終わってた。
当時はメジャーデビューする前にインディーでワンアクションとるのが流行ってたのです。
MVも撮りたいねって事で
下北沢の今はなき伝説の喫茶店ぶーふーうーで
みんなでミーティングしてる時に
ビクターのアー担の姉帯(あねたい)さんが
後に白い声とプリズムの監督もしてくれることになる二十里(つりふじ)さんに電話して
すげー安く撮ってよ〜笑
と、ものすごく軽い感じで頼んでて
(珍しい苗字多いな…)
ええ〜…いいですけどぉ〜
と二十里さんもしぶしぶ?OKしてくれて
そんでできた千川のMV
晴海埠頭で撮ったんだけど初々しさがすごいし
この3ヶ月後に白い声のMV撮ったと思うと
その差もすごい。
メジャーってすげーと思ったものです。

今思えば、俺の心の深い部分をえぐった歌詞じゃなく、俺のフィルターを通して見えた景色をそのまま書いた歌詞がよかったのだと思う。

この手法はここから何度となく登場するし
絵を描くように言葉を紡ぐ、という事の面白さを知るきっかけになった曲だと思う。

そして、この曲もやっぱり、当時の俺らが下北沢から外の世界へ出て行くための強力な武器になった。

ある意味、LUNKHEADの代名詞みたいな曲だった。

ただ、メロディがヘンテコで
サビを歌うのがとっても難しい。
なので音源は俺のボーカルがとにかくヘタクソ。

それでもこの曲のおかげで随分バンドの見る景色が変わったと思う。

 

(Vo.G.小高芳太朗)