LUNKHEAD曲解説ブログ,  アルバム,  影と煙草と僕と青

最後の種

2002年の秋
影と煙草と僕と青のレコーディングに向けて
リードトラックを作るつもりで
当時俺らが持ちうる可能な限りのポップ感とキャッチー感を詰め込んで作った、が
ディレクターのウケがイマイチで
結局リードは東京にてになった。
だけど、リードにするつもりで作っただけあって
今聴きかえすと拙いながらもアレンジが細かいところまで凝りまくってるし、コーラスワークもすごい凝ってる。
追っかけのコーラスはオクターブ上にファルセットが入ってるし
追っかけが主線に追いついて下ハモリになったと思ったら3声になったり。
2002年の12月
3回目のみかん祭で初披露したんだけど
年が明けて元旦にじいちゃんが死んで
俺は生まれて初めて近しい人の死に触れた。
じいちゃんが真ん中にいてみんなが泣いてて
喪服のばあちゃんは艶っぽくて綺麗だった。
これが死か。
こんなにたくさんの人が泣いている
じいちゃんは良いゴールテープを切ったんだなあ
じいちゃんは良い人生を生き抜いたんだなあ
と思って
歌詞を一から書き直した。
死にもいろいろあって
理不尽な死、残忍な死、無慈悲な死
戦争を経験してるじいちゃんもばあちゃんも嫌になる程たくさん見てきただろう。
だからこうやってたくさんの人に囲まれて
死んでいけるじいちゃんはすごい幸せ者なんじゃないかと思った。
「僕」はじいちゃんの事で
頭のサビの花に抱かれて笑ってる僕は
棺の中のじいちゃんの事で
最後のサビはじいちゃんが死んでいく様を歌っている。
みたいなブログを書こうとしていた矢先にばあちゃんも死んだ。
嫌な話で、病院以外で死ぬとみんな変死扱いで
一応事件性がないか警察で検死が行われるらしい。
家族の誰かが殺した可能性、とか。
でもおかげで、肺に水も入ってなく、溺れたわけでもなく、あったかい風呂で眠るように死んでいったことがわかったのでよかった。
悲しさよりもお疲れ様でしたという気持ちの方が大きいかもしれない。
最後に、玄関で靴を履かないで、なんとなくばあちゃんのところに戻って、またね!って言えて握手できてよかった。
ばあちゃんの笑った顔を、声を、最後に目に耳に焼き付けられてよかった。

 

(Vo.G.小高芳太朗)